1月20日 アイオワ州党員集会リポート (佐藤純枝)

 

  アイオワ州で行われる民主党予備選最終段階に入った先週末、私は、デニスクシニッチ氏の選挙活動に参加すべく アイオワ州にあるデボンポートという町へ行ってきました。1月17日(土曜日)の午後シカゴを発ち、4時間程で現地に到着しました。その日は、ついた時間が遅かったということもあり、デポンポート(Davenport)のデニス・クシニッチ・オフィスを訪れ、そのあとデニスの現れるという"Lulac Cafe"という、市内の集会場(のようなところ)へ足を運ぶにとどまりました。

 まず、そこへ二泊三日をして町の全体的なの感想ですが、デボンポートというところはとても規模の小さい町で、経済的にも貧困層の労働者階級の人たちが集まっているという印象を受けました。

 さて話を17日の夜に戻しますが、"Lulac Cafe"に一足早く着いたので、そこで開催されるラリーの主催者と話をしました。彼は立場上特定の立候補者を公的に支持することは出来ないらしいのですが、もし推薦するとしたらデニスだと言っていました。彼がデニスだと思ったきっかけは、これまでのキャンペーンの中で彼一人がマイノリティの人々に対して十分な考慮と注意を払っていることだと言っていました。
 私は熊谷さんから送っていただいたFriend of Kucinich, Japanのキャンペーンのサインを身につけていたので、数人の方に声を掛けられました。アメリカのメディアで無視されているのだから、せめて、デニスは他の国にも熱い支持者を持っているということを表に出し、アメリカ国内の支持者を勇気づけたいという思いがあったので、効果があって良かったです。(熊谷さん、ありがとうございました)
 デニスとそのキャンペーンの一団は遅れているとのことだったので、予定時刻には始まらず、もしかしてゆみさんにも会えないのかと心配していたのですが、無事到着し、きくちゆみさんと森田玄さんのトークと演奏が始まりました。感動して涙が出ました。次に、サンタクルーズからピーストレインできたという新婚のカップルのパフォーマンスが行われました。カリフォルニアはリベラルな人たちが多いと聞いていましたが、そんなパワーを感じました。とても心強かったです。
 そしてやっとデニスが到着しました。初めて本人を拝見するということもあり緊張しました。彼が壇上に立ち話をしている間も感動でまた涙。スピーチの間と最後に大きな喝采を浴びていました。スピーチの後で、Friend of Kucinich, Japanのサインを持ちデニスの前に立つと、サインを読んだ彼の表情が明るくなり、そのあとに大きく固い握手をいただきました。日本のみなさんの存在が彼を勇気づけていることは間違いないです。
 言うのを忘れましたが、"Lulac Cafe"のラリーへの参加者は百人程だったと思います。
 ラリーの後、滞在する宿へ戻りテレビをCNNにあわせました。私の家にあるテレビは放送するチャンネルがとても限られているので、大きなメディアを通して選挙を見るのは初めてでした。予測はしていたものの、悔しかったです。デニスの情報は皆無です。最後の追いつめになってエドワーズ候補やらケリー候補やらが出てきて、アイオワ州でほとんど選挙活動をしなかったクラークすらも話題にしているくせに(しかも彼のスピーチの様子を放送したときには、その観衆の最前列にマイケル・ムーアの姿もしっかり映っていました。クラーク支持のため、メデイアは逆に彼を利用しているのでしょうか…。)、デニスは何もなし。まさに、Revolution will not be televised (革命はテレビに映らない)ですね。しかし、これがどれだけの痛手を負うかは次の日の選挙活動をしてもっと身にしみて感じることになりますが…。

 日曜日。予備選挙の前日。朝、オフィスに向かい、私たちの担当する区域の地図と民主党に登録している人の名簿を手に家々をまわりました。まず一軒目。投票には行かないとの返答に、それでももし気が変わったらとデニスの資料を置いていきました。次。登録していた男性は留守で、女性(きっとその奥さん)が出ました。投票に行くというので、デニスの話をして彼の講演の様子が見られるビデオを渡しましたが、彼女の「彼に渡すけれど、無駄だと思うわよ。」の一言で終わりました。そのあとまわった数件は留守のようでした。選挙活動が毎日のように行われているので、居留守を使っている可能せいもありますが。まわった家を全て平均してみて、半分が未確定、半分が拒否反応、そして少数(三件ほど)が興味を示していました。その中でも一人の老婦人の言葉が印象に残っているので書きます。彼女の家を訪れると、登録している本人は留守でした。投票もしないとのことでした。そこで、せめて資料(チラシ)を置いていってもいいかと聞いたところこういう返事が返ってきました。
「まず、あなたたちは間違ったタイプの人間と話しているわ。(You are talking to a wrong party) そして、もし投票をしたとしてもエドワーズよ。」
ここで、エドワーズ候補とクシニッチ候補のプラットフォームが似ていることをアピールすると、
「第一、クシニッチの名前すら聞いたことないし、彼はいい人だとは思うけれどテレビに出て知られてなければ意味ないのよ。」
 厳しい現実を見せられました。特にアイオワ州は、大多数の人にこの状況が当てはまると思います。テレビ国家アメリカ。
 あとは「関係ないね (I don't give a fuck)」という若者にも出会いました。前にも述べたように、アイオワのデボンポートは労働者階級の人が多く、コーカス(党員集会)のときに働いているか、あるいは貧困のもとで、初めから希望を失っている人たちが目につきました。こういう人たちにデニスの存在を知ってほしいだけに、とてもつらいです。

 この日の夕方、デモインで行われるデニスのラリーに参加しようと、3時間車を走らせましたが、着いたときには時すでに遅しで終わっていました。
これで日曜日は幕を閉じました。

 月曜日、コーカス当日。朝から最後のお願いをしてまわりました。また決められた区域をまわり、コーカスの場所と時間の入ったカードを配って歩きました。そのときに印象に残った出来事が一つあるので紹介します。
 ある女性の家を訪れたところ、彼女はいなく、そのアパートの外で隣人と見える男性(アフリカ系アメリカ人)に出会いました。彼に、「今日のコーカスには行きますか?」と聞くと、その事実すら知らなかったといった様子でした。そしてデニスのことを話すと「みんな嘘つきだ。」と言いました。彼の言っていることはもっともです。私も、今までの政治家に関しては同感です。特にアフリカ系アメリカ人は嘘の連続を押し付けられ、最も被害にあった(あっている)人々の一部です。なんとか彼のような人にデニスの存在を知ってほしいと思いました。彼に、デニスの公共医療制度について話しました。すると、「私は骨疾患で苦しんでいる。彼のような人が必要だ。」と言いました。彼に、コーカスの場所と時間の入ったカードを渡しその場を離れましたが、私の予想では、彼はおそらくコーカスには行かなかったと思います。
 このあと残りの家をまわり、私たちの活動は終了しました。デニスのオフィスに戻り、シカゴに戻る意を伝え帰宅の途につきました。選挙運動を仕切っているパットという男性は、「助けが少なすぎて、全てに手が回しきれない。」と困っていました。あと、地元の新聞に記事をお願いしたにも関わらず何も書かれていないと嘆いていました。

 日曜日、月曜日に渡り、行った選挙活動ですが、とにかく市民がメデイアに飲み込まれているといった印象を受けました。そして、本当に助けが必要な人、あるいはデニスの政策で生活改善が可能な人があきらめ態勢に入っているという印象も受けました。(例のアフリカ系アメリカ人の男性は、それすら知らない状態ですから)

 

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