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精神と星くず
(Sprits and Stardust)

平和建設の錬金術におけるドゥブロニク会議 (The Dubrovnik Conference on the Alchemy of Peacebuilding)
2002
6411日 ドゥブロニク(クロアチア)

2002
69()午後8:45、クシニッチ氏による特別基調演説

精神と星くず


深遠なる宇宙の星々が生まれるところ、鷲星雲を、ハッブル望遠鏡による映像で検証してみると、空間と時間が、物質と精神が交錯しながら、天球の無限の数の海の音楽に合わせて踊る宇宙の力の相互作用を想像することができます。

精神は、宇宙を浄化するために物質と融合します。物質は精神に還るために超越します。物質と精神の交換は、私たちの宇宙の最も遠い生命の星光のマジックが、私たち自身の最も近い生命の精神光のマジックになることを意味します。星々のエネルギーは私たちになります。私たちは星々のエネルギーになります。星くずと精神が融合し私たちは始まります:人類と宇宙の融合です。すべてにして聖なるもの。一つの源から、爆発する、動的で根源的な終わりなき創造のエネルギー。150億年に及ぶ大気と水と火の螺旋運動の私たちの地球。

私たちは物質と精神の完全なる結合として始まります。私たちは空と大地から神の祝福を受けます。手を広げれば、私たちは宇宙のエネルギーを感じることができます。私たちは、生命を育み清める水から、神の祝福を受けます。私たちは原初の火、創造の脈打つ鼓動から、神の祝福を受けるのです。私たちは多次元的で卓越した生命の神秘を体験します。空へ向けて手を広げれば、私たちは豊かさに満たされます。私たちは求め、私たちは受け取ります。豊穣なる宇宙は私たちへと、私たちを通って流れます。それは私たちの内にあるものです。私たちは無限の可能性に満たされるようになるのです。

私たちはどこから来たのか思い起こす必要があります。私たちが一つであることを知るために。私たちが不可分の全体であることを理解するために。人種、肌の色、国籍、宗教的な信条、ジェンダーは、ある一つの大きなプリズムを通過し屈折した光線なのです。私たちは物質と精神の完全なる融合として始まり、「私」の単一性と「私たち」の多様性において、より完全なる精神の、完全なる融合となります。――これは人類の努力です。シェリーの言葉、「……希望はそれ自身の挫折からそれが熟慮するものを創る。」ブラウニングの言葉、「私たちの手の届く範囲は拡大し続ける。」これは内なる天空の模索であり、私たちの永遠なる故郷の探求なのです。

私たちの魂のマニフィカト(キリスト教のマリアの賛歌)の中で、私たちは内なる宇宙を意識するようになります。私たちには、平和の音楽が、協調の音楽が、愛の音楽が聞こえます。調和が、天の交響曲が聞こえてきます。魂の忘却の中で、不調和、不統一により誓約され、星々からばらばらに引き裂かれ、私たちは、自らの宇宙の生まれながらの権利に気がつかなくなります。その災厄は、マシュー・アーノルドによってその作品『ドーバー海岸』に巧みに描かれています。「……世界、それは私たちの前に、とても変化に富み、とても美しく、とても新しい夢の地であるかのごとく横たわっているように見えるが、実は、喜びでもなく、愛もなく、光もなく、確信でもなく、平和でもなく、痛みへの救いもないのだ。そして、私たちは、もがきと逃走の混乱した警鐘に押し流され、この薄暗がりの平原にいるが、そこでは無知な軍隊が夜になると衝突するのだ。」

今日、ドーバー海岸は、ワシントンのポトマック河畔にあるのです。私たちのリーダーたちは、あり得ないことを考え、言語に絶する事々の必然性を語ります。核戦争、ニューヨーク市への核攻撃、私たちの国中をテロリストが攻撃すること、核兵器を使用したイラクへの戦争、一般市民への生物・化学兵器による攻撃、破壊的な地球的規模の気候変化、宇宙空間での戦争。

死 (生命ではなく) が避けられぬものになる時、愛で、哀れみで、精神的ビジョンと私たちの世界へ平和を回復するための能動的な市民権を統合することで、モルフェウス (ギリシア神話の夢の神) の武力から人間の魂を救済するため、私たちは大きな卓越した明晰さのための、大いなる覚醒のための、機会を与えられます。一つの世界がまさに終わろうとする瞬間、新しい世界は始まろうとします。私たちはどこから来たのか、思い起こす必要があります。なぜなら私たちが来た道はまた、私たちがこれから行く道になるのですから。

合衆国連邦議会下院議員として私を送り出している都市(クリーヴランド)には、その作者である彫刻家のマーシャル・A・フレデリックスによって『
永遠の命の泉』と名づけられた平和の記念碑があります。像は炎の中から立ち上がり、凝視する目は星々を捉え、その手はまるで距離を測るかのように六分儀のごとく天を指しています。戦争の炎は何百万もの心にあって、そしてそれが幾多の場所で荒れ狂い、私たちの意識を嘗め尽くそうとも、一つになるという、ともに手を取り合うという、思いやるという、普遍の原則を行使するために、私たちはじっと上を凝視しなければならないのです。私たちの世界に平和を吹き込むために、平和の活発な存在を求めるために、それを受容し日々の暮らしの中で表現すべく私たちの懐を広くするために。私たちをこのことを大胆かつ勇敢に行わなければならなず、恐怖の毒ガスの中で呼吸をしてはならないのです。私たちは受け取るように与えもしましょう。

世界の市民外交官として、私たちはどこであろうと、いつであろうと、誰へであろうと、必要とされていれば意識的な表現として平和を届けます。中東へ、イスラエル人とパレスチナ人へ、パキスタン人とインド人へ、アメリカ人とアル・カイーダへ、そしてイラクの人々へ、凄惨な争いの中に置かれたすべての人々へ。そして私たちは飛んで行きます。希望を失った人々と共にあるために、がけっぷちに立たされた人々と共にあるために、深い同情をもって声を聞くために。裁きや敵意のためではなく、調停者となるために、仲介するために、仲裁するために。私たち自身を暗黒の淵から呼び戻すために、世界の傷に包帯を巻くために。

私たちは兄弟・姉妹としての普遍的な結びつきを切望するので、世界の中心からの叫びに耳を傾け、思想、言葉そして行為を通じて呼びかけるために肯定的に応えるのですが、経済的開発、帝国支配、政治的圧力、宗教的不寛容、貧困、疾病、飢餓、ホームレス、水利権、土地、鉱物資源、石油をめぐる争いなど、状況は対立を引き起こすものとなっています。

私たちは、どこかで誰かに影響を及ぼすものは、誰にでもどこにでも影響を及ぼすということを知っています。私たちは誰かを癒すとき自分自身をも癒しています。お互いの結びつきを重視する私達のビジョンは、無数の非政府組織(NGO)にリンクし、国境線を越えて、世界市民としての新しいネットワークとして共鳴するのです。国境を越えたインターネットを基盤にしたeメールと新しい電気通信システムは、各国政府を超えて、社会的・政治的構造と新しい創作的知性の感覚に質的変容の力をもたらしました。もし政府とその指導者たちが、社会的階層(ヒエラルヒー) と家長制度によってがんじがらめになり、政府の合法性のために軍事勢力に結び付けられると、協調・平和・継続可能な開発という発達段階にある世界の意識をつかむことに失敗するという見当違いをしでかすことになるかもしれません。

市民活動家たちが世界をひとつにすれば、彼らは平和を創り出し、惑星を守るゆるぎない力になり得ます。ここから、核兵器とすべての大量破壊兵器を廃止する新しい運動が始まります。ここから、持続可能なコミュニティーの希求が、エネルギーと輸送と通商の新しいシステムの希求が、始まります。ここから、未来が私たちのもとへ駆け足で訪れます。

人は、どのように能動的な市民権のための資格を得るのでしょうか。その機会は毎日あります。クリーヴランドでは、学校閉鎖の計画が持ちあがると、人々は調整能力を現し、学校を存続させてきました。病院を存続させるために団結力を、勤め先を提供する産業を保護する力を、公共サービス節減のため近隣図書館が閉鎖されようとする時には阻止力を、地域の治安維持を改善する力を、人種・民族・宗教上の偏狭に公然と向き合う力を、問題が提起されるその度に力を見せてきました。

能動的な市民権は、希望が叶ったときの構想を描いたり、精神的法則を意識的に適用することから始まります。私は知っています。私は自分の地域の人々と働いたことがあるからです。私は、自己にある信義の原動力を見てきました。人が持つ信義は事態を変化させることができます。人が持つ信義は強い抵抗にあっても広がることができます。世界の精神へ支援を訴えることによって、地域の精神へ参加を訴えることによって、協力の精神へ訴えることによって、広がり、それはエネルギーを増加させて行きます。私は、市民が非反対の法則を訴えながら、反対の人々を招き入れながら、誰を非難することもせずに、状況に挑むのを見てきました。

私は、いくつもの集団がたいへん公算の少ない事柄を克服するのも見てきました。自己を超えた大義に加わっているということに気づき、団結の結果 不変であったものが動くのを感じるとき、それは起こります。この原理が作用するのを感じるとき、精神的な原則が活発な市民権の基礎を形成するのを見るとき、星くずと精神の融合をもう一度思い出させられます。創造性があります。マジックがあります。錬金術があります。

アメリカ中の市民は今、平和省を設立するために一つになろうとしています。求めているのは、私たちの社会の変革にほかなりません。非暴力を組織原理にするために。人類の発展のために私たちの文化に規範の転換をもたらすことによって戦争を過去のものとするために。経済的・政治的公正のため、そして暴力を抑制するために。暴力抑制での役割は、軍縮、条約、平和的共存と平和的調和の建設を支援することです。経済的・政治的公正の焦点は、資源の分配と人権・経済権利を検討し増強し、民主主義の価値を高めることです。

国内で、平和省は家庭内暴力、配偶者虐待、児童虐待、ギャング、警察と地域関係の争いに取り組むでしょう。そして、「暴力は不可避である」或いは「戦争は不可避である。」というような従来守られてきた世界観の神話を検証する姿勢の変化を達成するために、個人およびグループで取り組みます。したがって、それは、平和的調和へ向けて新しい自己と新しい道を発見する助けとなるでしょう。

平和省はさらに人間の開発、および女性と子ども特有の問題に取り組みます。平和教育の構想を描き、その計画を実行するために努めます。単に教科課程としてではなく、公式の教育的環境の中で、知識のあらゆる追求のための雛型として、平和教育を進めます。

暴力は避けられないわけではありません。戦争は避けられないわけではありません。非暴力と平和は避けられません。私たちは、この世界で、生活の中に普遍的な精神の存在を確証する平和という贈り物を作ることができます。私たちは、将来へその贈り物を送り、恐れから、害悪から、破壊から、私たちの子供を保護することができます。

アメリカ下院の入口に立つ大理石の柱の上に位置する切り妻に、見張(歩哨)が刻まれています。一人の女性がこの「民主主義の神格化」の中に決然と立ち、その左には子どもがいます。彼女は足元に幸せそうに座っている子どもを守るように右腕を伸ばしています。子どもは、この母親の保護の下で知識のランプを持っています。

ポール・ヴェーラント・バートレットによるこの驚くべき彫刻は『ジーニアス(精神)を守る平和』と題されています。核兵器でではなく愛情を抱いた母の腕で、「ジーニアス(精神)」という利口な子どもは、危害を加えるものから保護されています。これは恐れを超越した希望の誓いです。これはすべてを克服する愛の誓いです。これは疑念に打ち勝つ信義の誓いです。これは暗さを克服する光の誓いです。これは戦争を克服する平和の誓いです。


ありがとう。




ドゥブロニク…クロアチアの古都。クロアチアはクシニッチ氏の祖先の地らしい…。クロアチアは、日本ではサッカーで有名。

クロアチア情報は、
日本クロアチア教会

 

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